人間、みんな日々いろんな道具を使って生きている。
眠る時も身につけている「衣類」。朝起こしてくれるのは「目覚まし時計」や「スマホ」かもしれない。
「歯ブラシ」で歯を磨き、「やかん」で沸かしたお湯で淹れたコーヒーを「マグカップ」に注いでほっと一息。
「冷蔵庫」から取り出した食材を「包丁」で切り分け、「鍋」や「フライパン」「トースター」なども使って調理し、「しゃもじ」や「おたま」で「器」に盛り付けて「箸」でいただく。
人一人が生きていくために、一体どれほど多くの道具の世話になっていることか。
「極力無駄な物から離れ、愛着を持って使える道具に囲まれて生きる」というのが一つの理想としてよく聞く話であることを思うと、現世人類のほとんどは、あまり必要でもなく、愛着もわかない品物に囲まれて生きているのだろうと思う。
だが、誰でも持っているような、どこにでも売っているような道具たちに囲まれて生きているとしても、縁あって暮らしを支えているその組み合わせは、唯一無二の「その人のチーム」であると言えるだろう。
私(店主)もそんなチームに囲まれ、守られて生きている。
そして40も半ばを過ぎようかという年頃になって見回してみると、もうずいぶんと長いこと一緒にいる道具があることに気づく。
特に深い思い入れを持って購入した物ばかりではないのだが、「いつの間に?」としか言いようのない自然さで、気が付くともう長い事お世話になっているという静物もまた多いのだ。
そこで、これから何回かにわたりそうした長く連れ添ってくれた静物、愛すべき古兵(ふるつわもの)たちに脚光をあてることで、人生の後半もひとつよろしくという気持ちを込めた讃としたい。
祖母にもらった、「おばさんっぽい」ペンケース
その①、としてご紹介するのが中学生の頃から使っている芭蕉布のペンケースである。
これは私が中学1年生の頃、当時は若く元気でもあった祖母が沖縄旅行の土産としてくれたもので、「芭蕉布でとてもいいものなのよ」と聞かされた。本当に芭蕉布というものなのか、とてもいいものなのかは今もってよくわかっていない。
祖母にもらったということあり「なんだかおばさんっぽいな」というのが第一印象だった。まさか30年使い続けることになるとは。
思い起こせば、きちんと記憶に残っているペンケースというのは、これともう一つ、やはり中学生の時に買ってもらった豚皮の品物しかないが、その革製品は一体どこに消えてしまったのか。
中学校の頃の私はあまり良い生徒ではなく、そもそも2年生以降では学校に筆記用具を持って行くということもなかったのではないかと思う。何故そんなことを憶えているのかというと、2年生の頃に、何度席替えをしても必ず隣になるKさんという女の子がいたからだ。
Kさんはまじめにノートをとる物静かな子で、授業が始まるといつも色とりどりの筆記用具の詰まった大きなペンケースを机の上に出していた。
「ちょっと貸して」とお願いするとシャープペンシルでも赤ペンでも何でも貸してくれたから、私は筆記用具を持ち歩くことを止めてしまったのだ。
祖母のくれたこのペンケースは、中学後半で塾通いを始めた私が「さあ鉛筆と消しゴムを持って行かねばならない」となったときに、間に合わせで使い始めたのだろう。
今では、商談であれセミナーであれ、手帳に挟んだボールペン1本あれば事足りてしまうので持ち歩く機会は減ったけれど、ごくまれに旅行に万年筆を持って行きたいなどと思う時にお出ましいただいている。
そもそもあまり使わなくなっているうえ、ほつれや破れもないので、あと30年、40年は、この品物にとって何の負担もない歳月かもしれない。
気が付いたらペンケースはこれだけであり、他の物が欲しいとも思わない。
これからも、長く元気でいてほしい。
2023年1月吉日
店主拝