品物に、商いにこだわりを持ち、日々お客様と接するお店がどんな来歴で今日を迎え、またどういった未来を目指しているのか。
店主様に品物や商売にかける思いを聞く「逸品を届ける」シリーズの第一弾は「下町手ぬぐい処 賞(めでる)」の小島光博さんにお話を伺いました。
「5年前の年の瀬にお店をオープン」
――日はお忙しいところありがとうございます。賞様とは清玩堂でも仕入をさせて頂いている株式会社戸田屋商店様のご紹介でご縁をいただきました。今日はよろしくお願いします。お店のオープンにまつわるお話から伺えますでしょうか。
オープンは2016年の12月、そろそろ5周年です。
――5周年、もうそんなに経つんですね。12月というと年の暮れだったんですね。
12月25日オープンです。11月16日にお店の契約を済ませて、12月23日開店のつもりで工務店にお願いしたんですが「こんな年の暮れに12月23日に間に合うわけねえよ」なんて言われたりして。
――元のお勤めは東急ハンズさんでいらしたと伺いましたが。
ここを開けるまでですから1982年から2016年まで、34年です。
――新卒からということだったんでしょうか。
そうですね。ハンズが開いて新卒を採り始めて4期目でしたね。
――私も昔ハンズさんを担当させていただいていたことがありましたが、売り場の方たちはとにかく商品に詳しかったですね。小島さんはどういった売り場をご担当されていたんですか?
僕は始めは園芸、その後に家具、文具、バス・トイレタリー、アウトドア、バラエティ、ゲームパーティとか一通り全部やりましたね。
――それは異動でお店を移りながら変わっていくんですか?
僕は渋谷が長くて20年近くいました。その中で担当が変わっていきました。「僕は異動ないんですかね」って上司に聞いたことがあるくらい。その後本社に行って店舗開発って新しいテナントにハンズが入るためのリサーチをしたりしました。
その前の段階で、ハンズとは違うどういうお店ができるのか、試しに4店舗か5店舗くらい開けて、その後にハンズビーという形に変遷していきましたね。
「お客さんと細かく接する商売がやりたかった」
――小島さんはハンズさんの中でもかなり偉くなられていたんではないかと思うのですが、お店をやろうというご決断をされたのはどうしてだったんでしょうか。
ちょうど55歳で役職定年という時期だったんです。
そのタイミングで売り場から本社に行くことになったのですが、手掛けていた仕事が自分の求めている仕事とは違うなと感じたのと…格好良くいうと、もう俺らの時代でなくて、次の若い奴らが出てこないとハンズ自体の魅力はなくなっちゃうのかなあというのもありました。
一番いい時、バブルの時に弾けまくっていたというか、そういう時代を知っている僕らが居座ってああだこうだ言っていても、今の時代に合った仕入れや販売、商品があるだろうし、僕は引いちゃった方がいいのかなと。
それで、やるんだったら自分が得意としていることをやりたいし、ハンズの時に実現できなかったお客さんともっと細かく接する商売ができればなあと思ったのがきっかけですね。
――ハンズさんもずいぶんお客さんと近いイメージがあって、なんせ売り場の人が品物について詳しかった。ある所からそうではなくなったのかもしれませんが。
そうですね、知識は今でもみんな持っていて、聞けばいろいろ教えてくれますが、やっぱりどこかから、それは売り場が仕入れをしないでセントラルバイヤーになってからなのか、物に対する愛着だとかこだわりっていうのが変わった部分はあるかもしれません。
朝お店に行けば品物が届いていて、よっぽど勉強しないと「これ何だ?」って聞いてもちゃんと答えられない。単に並んでいる商品を買ってもらっている感じになっていってるという。
――手ぬぐいに特化したお店を開くというのは初めから決まっていたんでしょうか?
昔から何かこういうような柄みたいな、テキスタイルというかパターンみたいなものが好きだったんです。
関係ないかもしれませんが、僕の祖母が花札が大好きで、小学生の頃に毎日一緒にやっていたんですね。花札の絵柄の影響っていうのがもしかしたら自分の中に残っていたのかな、なんてことは思いますね。
――花札は確かにかなり図案化されていますよね。園芸からバラエティまでいろいろご担当された中で、特に文具なんかはすごく近い部分があったと思うんですが。
柄を表現するには、もちろん紙でも文具でもいいんです。紙には紙でしか表現できないものもありますし、魅力はありますよね。
でも自分の感性ではピンとくるものがなかったんです。布はハンズの経験の中でもやったことがなかったから新鮮でもあり不安でもあったんです。
だから辞めたらどういうことをやろうかなあって考えて、休みの日なんかにいろんなものを見て回りました。東京ギフトショーで戸田屋さんに出会ったり。
――そのあたりから手ぬぐいに集中しようということになったわけでしょうか。
そうですね。インバウンドで外国の方が多い時期でしたから、せっかくだから海外の方にも日本の文化がわかりやすく伝えられて、なおかつ生活の中で生かすことができるとなると、やっぱりこれは文具じゃなくて手ぬぐいかなあと固まってきたんですね。
一年半くらい、いろいろ考えながら進めました。
賞(めでる)には「賜物(たまもの)」という意味合いが
――賞さんのお店の名前の由来をお聞かせいただけますか?
第一にお客さんからわかりやすい名前をつけなきゃいけないって考えたんです。それから事業が発展するという点では15画の文字がいいっていう話があって(笑)。
~堂とか~商店っていうのは一般的過ぎて、できれば一文字で常に動いているイメージの動詞がいいなあって思って調べてたんです。
――15画で一文字の動詞、ですか。
15画の文字って何百もあるんですが、漢和辞典で「賞」をぱっと見たときに整ってる感じがしていいなあと思って意味を調べたんですね。そうしたら「ご褒美」とか「賜物(たまもの)」という意味があり、愛する意味の「愛でる」という同義語でもあるんです。
愛でる方を調べてみたら「大切にする」って書いてあったんです。お店を開くには地域やお客さん、人を大切にしなくちゃいけないしもちろん商品も大切にしなきゃいけないと思っていたので「これだ!」と感じました。
自分が「賜る」ものをこんどはお客さんに差し上げるような形につながればいいなあ、と。漢字だけで見ると「めでる」とは読めないんですが、ひらがなで書いたり、口で「めでる」と言うと覚えやすいので、これが一番しっくりくると思いました。
――なるほど、ギフトという点でもどんぴしゃりの名前ですね。そこに行き着く、探す間にお店の方向性みたいなものもはっきりしたということなんですね。
そうですね。コンセプトとか、お店やるときには自分なりに書き出して表にして、今でも持っています。
「お客さんには一番いい状態の商品を売りたい」
――仕入れについてなんですが、5年ご商売をされているとご自身の好き嫌いとか、お客さんに売れるだろうとか売れないだろうとか、いろんなアンテナが立っていると思うんですがその辺はどうですか?
「自分のお店だから好きなものを」ということはあるんですが、世の中の人たちが僕と100%同じ感性ということはないから、違う感性の人にも「こんなものがあるんだな」って思ってもらいたいので「これ無理だな」って思ってもチャレンジして仕入れることがありますね。
――その匙加減というのは難しそうですね。
難しいですね。「売れるもの」と思って仕入れしたことはないですね。これだったらお客様がどういう場面で使うかなとか、これだったら喜んでくれるかなという観点ですね。
――売れるか否かというのは、1か月2カ月経つと採点が付くわけですが、ご自身の感性に沿うものとそうでないものって違うものですか?
そんなに違いはないですね。どういう場面で使っていただける、喜んでもらえる、というこでセレクトしているので。
一番気にしなきゃいけないのは商品が劣化していくこと。
お客さんには一番いい状態の商品を売りたいから、僕の中では少なくとも4カ月経過して売れなかったらいやだなあっていう感覚があったんです。
でも、秋にクリスマスの柄が売れたり、冬にお雛様の柄が売れたり。ああ、そういうこともあるんだなあ、なんてね。
――なるほど、そういう風に売れていくものなんですね。返品はしない、ということなんですか?
返品はしません。仕入れるときには数を見極めて「これは1個売れたら1個仕入れる」とか1個単位で管理しています。
それでも100%売り切ることはまずないので、状態を見て、色が褪せちゃいそうだなというような品物は「特売です」ってザルに入れて置いておく。それはそれで普段使いにいいやっていうように買っていって下さいますよね。
――手ぬぐいの劣化というのは色が褪せる、紫外線で褪せるということなんでしょうか?
そう、うちの照明はLEDにしているので劣化はしにくいんです。蛍光灯だともう一瞬、すぐに褪せちゃいますね。2カ月くらい出して広げると、表に出ていた面だけ色が薄くなっちゃう。
――しまった、清玩堂は蛍光灯です(笑)。
蛍光灯はやめたほうがいいですよ(笑)。商品を目立たせるために棚の下に蛍光灯のスリム管を入れているお店もありますが、あれは色褪せるだろうなあ、と思って見ています。
――なるほど、そこは大きなこだわりですね。手ぬぐいを新鮮な状態で、ピカピカのいいものをお届けするという。それは売り場が長い小島さんならではですね。
それは前職で経験したことが生きているんですよ(笑)。
「30社、200~220柄を常時在庫」
――お店の什器類もよくできていますね。
これは設えてもらったんです。他のお店を回らせてもらって棚の奥行とか角度とか、何センチずらすとかを参考にさせてもらって、そういうことをしてる時が一番楽しかったかな。
――在庫は余裕をもって並べるのと隙間なく置く時とで増減は自由自在というように見えますね。全体では何柄くらいあるんですか?
そうですね。週末が近づくと在庫を増やしますので、隙間なくびっしり詰まった状態です。取りやすいように整理するように心がけています。柄は200から220くらいの間で行ったり来たりしてる感じですね。
――そんなにあるんですね。仕入先様でいうと、主な先様が何社くらいで200柄なんですか?
手ぬぐいのメーカーさんって沢山あって、うちはその中でも大手さんや作家さんなど個人さんも含めて30社くらい、普段のお取り引きでは20社くらいですね。
――20社! 私は3社か4社くらいなのかと思っていました。30社の開拓っていうのはゼロからご自身でされたわけでしょうか?
戸田屋さんは初めにご縁がありましたが、他はゼロでしたから、自分がお店を見に行って帰ってきて電話して、「これからこういうお店を開くんですが、個人の店ですが商談をお願いできますか?」って聞いて。それで一件一件商談しに行ったんですね。
一人の個人がやる店ですから、これは絶対に直接会って気持ちとやる気を伝えて卸してもらおうと思って、当初6社くらいだったんですが、すべてやりました。
――当初は6社だったんですね。
スタートのその6社は「来てくださったから卸します」ってみなさん言ってくれるところがほとんどでした。本当にありがたかったです。
「来る日も来る日も物件探し」
――ここ根津にお店を構えたことには、何かご縁があったんでしょうか?
僕は杉並生まれの杉並育ちで、下町には縁がなかったんです。大学の友人で下町の子が沢山いて、ちょっと嫌な言い方ですが「ちょっと世界が違う人たちだなぁ」って…(笑)
――それはどういう感じですか?
すごく入り込んでくるというか、そういう感じがあって、若い頃でしたから、下町ってちょっと自分とは違うなあってずっと思っていたんです。
転勤で広島に9年くらい行っていた時期があったんですが、そこから戻ってきた時に「谷中銀座っていうのがあるんだって」っていう話を聞いて、ちょっと遊びに行ってみようかというのがきっかけだったんです。
僕ももう55歳に近かったので性格もこなれたんでしょうね。「なんて気持ちのいいところなんだろう」って(笑)。
――なるほど、確かに谷中は独特ですよね。
そう、何か雰囲気が、僕の持っていた下町のイメージとは違っていて何か心地良いな、っていうのをすごく感じまして。
――あんまり気張らなくていい、というような感じですか?
そうですね。もし自分が商売をやるならこういうところがいいなあって漠然と思っていたんですね。
――それは雰囲気が?
そう、雰囲気が。浅草とか上野という選択肢もあるんだけど、自分で商売をするならこれくらい小さい町で個性のある店がいっぱいある場所だったらすごくいいなあと思いました。
そこからは僕の性格、亥年なので、思い込むと視野が極端に狭くなるというか、ここで何かやろう、って2016年の8月ぐらいから休みのたびに谷中に来てどういう町なんだろうって歩き回るようになって。
――それで11月に契約ということはずいぶん濃厚な数か月でしたね。
いろんなご縁があったんですね。図書館に行って谷中の町の歴史を調べて、どういう謂れがあったりっていうのを調べたりもしました。
知り合いの不動産屋さんには、まずは町を全部あたって「ここがいい」っていうところがあったら交渉してあげるからそういうところを探してくれって言われて、それで5、6軒かな、ここの番地のこういうところってお願いしたらここは所有者がいないからちょっとわからないとか、ここはもう建て替えるからとか。
――お店の造りの物件だけではなくて普通の民家も探されていたんですか?
そう、普通の民家でシャッター開けたらガレージみたいなところまで。来る日も来る日もそればっかりやっていて、お願いしたけれどもいい返事がなかったっていう繰り返し。
でも、ようやく家賃10万円くらいであったんですよ。そこを「こういうのを見つけたんですけどどうですか?」って言ったら、「場所的には良くない」って言われて。でも決まらないと困るから一応そこ押さえといてもらいなさいって言われて、一応仮押さえをしておいたんです。
それで二日後くらいかな、その不動産屋さんから連絡があって「小島さん、根津の近くの言問通りに建設中のあの物件知ってる?」「知ってますよ」って答えたら「あんないい場所はまずない、今後も出てこないから、担当者に話をしといたからすぐに電話しなさい」って言われて。
――この建物が建っている時だったんですね。
そう。ここがまだ工事しているときに前を歩いてたんです。でも、僕が持っていたイメージっていうのがもっと裏通りでポツンと立っているようなイメージだったんで、全然興味なかったんですね。
――なるほど、言問通りは大きい通りですからね。
それですぐに電話をして。目利きの人が言ってくれているんだからと思って、すぐにここを契約したいんですけど、って言って(笑)。
――それで即決ということだったんですか?
何が何でもここを借りたいという一心でしたね。
家賃交渉は「そこを何とか」ってさんざんやり取りしたんですが、やっぱり「これ以上言ったら向こうが貸さないって言いそうだなぁ」っていう雰囲気になってきたからしょうがないか、って。
――それは他のご商売の方でもここならやりたいっていう方がいたでしょうね。実際にスタートしてみてどうでしたでしょうか? 5年根をおろして、良いことの方が多そうですね。
そうですね。大きな道路だから騒音があるのは仕方ないんですが、バスに乗っていてちらっと見たお客さんが次の停留所でおりてきてくださったり、信号待ちしている時に見て気になったからきてくださったとか、そういうことは路地の奥では考えられないことですね。
あとは芸大が近いので、ここに通ってくれる先生も生徒さんもいるし。ありがたいことですよね。
――ある意味「運」の要素も大きかったんですね。
これも「たまもの」なんですよ。
「用途の広いのが手ぬぐいの良さ」
――もう少し品物について伺いたいんですが、手ぬぐいを扱っていて、いろいろとお客さんのニーズも聞こえてくると思います。用途や柄などでお客さんにアドバイスしていることはありますか?
僕が思っていた以上に「手ぬぐいってどういう風に使うんですか?」っていうお客さんが多いですね。
――根本的に「どうやって使うか?」っていうことなんですか?
そう、どういう風にどういう場面で使う物なんですか? って聞かれることも多いので、ああ、まだまだ浸透していないというか、すそ野が広がるものなのかなあっていうのは思いますね。
実用的に使う方もいればコレクションされる方もいますし、飾る方もいますし、最初からシャツにするために買うとか、袋物にするためにっていう方もいます。
用途の広いのが手ぬぐいの良さなので、いろいろありますよね。
――意外な使い方をしている方なんかもいらっしゃいましたか?
一時期流行ったのか、手ぬぐいをリボンみたいにしてリュックに巻き付けて歩いている人がいるのをインスタグラムで何回か見たことがあって、すごくきれいに作っているなあっていうのがありましたね。
――先日、戸田屋商店の宮川様にインタビューをさせてもらったんですが、その時に出たお話で、若い人にとって手ぬぐいは古臭いという前にそもそも知らない品物だから新しい、ということがありました。
古臭い昔の物っていう先入観じゃなくて、「こういうきれいな柄の布」っていうところから入ってくるから、かえってこれからの方がやりやすいんじゃないかっておっしゃっていました。「どうやって使う?」っておっしゃる方たちも見たことがなかったということなのかもしれませんね。
そうですよね。
――手ぬぐいのメーカーさんはかなり不定期に柄を追加されていくイメージがあるんですが。賞様ではどういうタイミングで品物を入れ替えているんですか?
定番の古典的な柄はあまり変わらないですが、季節の物でいえば、基本的には2カ月くらい前から仕入れます。特に手ぬぐいを飾られる方はお盆くらいから「紅葉の柄はありませんか?」とか、僕らが考えているより相当早いんです。
だからもう今から冬の物を入れて準備しないとお客様のニーズには対応しきれない。九月ですから紅葉とかが多いんですが、これから徐々に狭まってきて冬の雪の物とかそういう物が広がっていきます。
――年に何回入れ替えるというよりは仕入れのタイミングごとに少しずつ変わっていくんですね。
そうですね、当然、新柄が出たときには仕入れます。うちはいろんなメーカーさんの商品があるので、秋の柄、冬の柄って括って集めようと思えばかなりの種類集められますから。
――なるほど、別に新しい柄でなくても今まで注文していない品物でも相当おありでしょうね。
そうですね。
――小島さんご自身の手ぬぐいのコレクションというのは、行きがかり上買い取った物なんかも合わせてどのくらいになるんでしょうか? 相当な数になりそうですね。
いや、そんなにないですよ(笑)、たぶん50もない。
メーカーさんの何十周年の記念の手ぬぐいをもらったり、新しく取引する先様の物をサンプルで頂戴したりっていうのがありますし、自分で購入した品物なんかは本当にボロボロになるまで使いますしね。
「東京一の手ぬぐい屋になりたい」
――今後について、企画というか、こういうことをやりたいなあという壮大な野望(笑)のようなものはありますか?
(笑)どうだろう、まだ5年ですからまずは「あそこに行けば面白い手ぬぐいがある」とかって言ってもらえるように頑張んなきゃいけない。
でも、本当に壮大な目標でいえば「東京一の手ぬぐい屋になりたいな」っていうのはあります。
――もうそれに近いんじゃないでしょうか? メーカーさんの直営店以外でここまで品ぞろえされているお店ってそんなにたくさんありますでしょうか?
だいたいメーカーさんの直営ですから、一か所でいろんなメーカーさんの物が買えるっていうのはうちの強みで、お客さんにとってはメリットかもしれませんね。
――あるメーカーさんに偏ると、雰囲気が偏るし、生地の風合いも偏っていしまうかもしれませんね。こちらだといろいろと選べるのがいいですね。
あとは、今考えているのは、年に4回、こういう普段取り扱いしていない取引先さんの商品を一か月間販売するっていうのはルーティーンにしていきたいなと思っています(インタビュー時には藤岡染工場様の品物を店舗中央で特集展開されていた)。
これは他の手ぬぐい屋さんではできないうちの強みなので。
――なるほど、和雑貨屋さんが年に4回といっても手ぬぐいだけというわけにはいきませんものね。
そう。これは他のお店にはなかなかできないことだから、きちんと形にしてやっていくのがいいのかなあって思っています。
それで見に来たお客さんが次はこういうところのをやってほしいんですけどっていうリクエストがあったり。通販で見ていたけどやっぱり現物を見てみたいっていうことなんですね。
――なるほど。
地方のメーカーさんで、なかなかそこに手ぬぐいだけ買いに行くっていうのができないから、あると喜んでもらえますね。
――今日はたくさんのお話をありがとうございます。最後にお客様に向けて何かメッセージをいただけませんか?
お店を開けたときのコンセプトとして、昔からあるものでも、今使うことによって新しい発見ができたり、それを使って生活に彩りや潤いが与えられる店になりたいな、っていうのがありますので、それが具現化できるように今後も頑張ってまいります。
回を経ても覚束ない店主のインタビューに丁寧にお答えくださった小島様、誠にありがとうございました。
名前のない猫の置物が言問通りを見つめる賞の店頭には、当初に出店を予定されていた路地裏と変わらない静かな時間が流れています。
品物を一番いい状態でお客様へ届ける――「東京一」を目指す矜持に感銘を受けた一日でした。
2021年10月吉日
店主拝