かまわぬ、かまいます…

「鎌」「輪」「ぬ」で「かまわぬ」

判じ物の柄として今やあまりにも有名なのが「かまわぬ」。

他にはどんな柄があるかというと「良き事聞く」や「うまくいく」、「無病息災」などなど。でも、あまり知られていませんが、「かまいます」ってのもあるんです。

「鎌」「ゐ(い)」「升」で「かまいます」

かまわぬ、かまいます‥いったいどうした事でしょうか。

これは、もちろん両者無関係ってわけではないんです。

歌舞伎は7代目市川団十郎(1791-1859)が初めて身につけたとされるのが「かまわぬ」。判じ物の柄をお披露目することで「ありゃ何でぇ」「かま、わ、ぬ、ほぉぉ『かまわぬ』ってか!」という口コミを狙った当世で云うSNS戦略というものであろうかと。

対して「かまいます」を身に着けたとされるのは初代市川男女蔵(やめぞう・1788-1833)。

歌舞伎の演目に「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」という一幕の時代物がありますが、この演目には千を超える演出の派生形があるとか。

団十郎演じる曽我五郎と男女蔵演じる朝比奈三郎が、互いに「かまわぬ」「かまいます」と染めた襦袢を身に着け、二人して肌脱ぎになり剣突するという趣向が大評判になったとか。

でもこの両者、じっと観ているとそれぞれに2通りの主張があるように思えてくるから不思議です。

「かまわぬ」「かまいます」

其の一

かまわぬ‥いいですよ、気にしませんよーという鷹揚な構え。

かまいます‥困るんです、ちゃんとしてください! というちょっと神経質な構え。

其の二

かまわぬ‥あんたなんかどうなっても知らないよーというちょっと冷たい感じの構え。

かまいます‥あなたがそんなこと言ったって、放っておけるわけないじゃない! と優しさ溢れた感じの構え。

どうでしょうね。こりゃそれぞれ思い当たる節があるスタイルで、わが身の振り方をどちらか一つと決めきれないのもよくある悩みや時々の決意であったり。

今回少し話したいのは「かまいます」のほうの話です。

「かまわぬ」という柄がよく知られており、「かまいます」という柄が少し忘れられたようになっていたこと。ここには、「かまってほしくないから俺も『かまわぬ』」という心持と、「人にかまう余裕なんてないので、『かまわぬ』」、あるいは「人のミスをとがめるのは面倒なので『かまわぬ』」などなど、どうも処世術のような意味合いでの流行があったのではないかという気がするのです。

「かまわぬ」は人気があるので扇子もある!

「かまわぬ」のは、「それどころではない」何事かのためであるならば大いに結構と思うのですが、そうではない、特別どんな大志もないのに鷹揚に構えるその姿はあんまり格好良くないのではないではないかと思うのです。

処世術として覚えた「かまわぬ」立ち居振る舞いが、骨の髄までしみるのが良いことなのか、ということです。

人一人が自立がおぼつかず必死に生きるうえで「かまわぬ」スタンスは必要不可欠なものかもしれません。ですが、自立し、大志に向かって進むうちには、人とのかかわりの大切さや、それこそ「かまいます」的な人物に助けられる局面も多々生じてくるわけです。

長じればストーカー、毒親、依存体質等々いろいろ言われる要素もあろうかと存じますが、店主は「俺は『かまいます』。あんたにはかまう、俺にもかまってくれ」というようなスタンスそのものを人に見せることは、ある時には人に対するこの上のない優しさであったりもするのではないか、少なくとももそんなシグナルを発することくらいはありではないのか――そんな風に考えます。

「どっちなんでぃ」

「即金で解決」「でかい声で一喝」「鉄拳の一撃」「神業の口先」――そんな個人の力技を夢見なくても、互いに知恵を持ち寄り福をなすような付き合いというのは必ずあり、それは少々面倒でも人それぞれの形で向き合わねばならない「かまいます」のスタンスの中からこそ生まれてくるものではないかと。

判じ物の中でも珍しい相反する内容を持つこの2柄。記事をしたためながらふと、主義主張をプリントしたTシャツを着用する人が多くいるように、手ぬぐいの柄も楽しむことができたら面白いなぁ、なんて思いました。あんまり気にしないで毎日の手ぬぐいを選んでたんですが…

手ぬぐい、普段使いに便利ですからね。

次回は祐馬工芸様と共同開発中の雑貨についてご紹介します。

店主拝