【寄稿】たまゆら便り⑪ ~絵に触れ、再、予期せぬ涙を 長谷川利行への想い~

根津の闇夜に茫として浮かぶ「たまゆら」の佇まい

 根津で二十年余、界隈で幾度かの移転を経ながら愛され続ける酒場「たまゆら」。

 バーのようでいてバーでなく、スナックではなくクラブでもない。

 店主様は「一期一会のサロンみたいなものだといいわね」とおっしゃいます。

 ご好評頂いております「たまゆら便り」第11便。

 鬱々としたコロナ禍にあって、歩いて行ける場所で好きな絵描きの絵に触れる機会を得たとのこと。

 長谷川利行への想いをめぐるエッセイを頂戴しました。

 

たまゆら便り⑪ ~絵に触れ、再、予期せぬ涙を 長谷川利行への想い~

収束感もないままのコロナ禍に、九時まで店を開け、開店休業の体の店内でつくねんと立ち、対面にある大きな水槽の熱帯魚たちを見やっています。

相当に暢気で生活感の薄い私でも、心細さを感じ入っていた最近、歩いていける場所で好きな絵描きの作品に触れる機会を得ました。以前に書いた事があるかもしれません。

絵描きは放浪の画家と称され、四十九歳でこの世を去った人でした。

へび道と呼称され、幾軒かの店が点在する区境の道にあるカフェで、画家でいらした熊谷登久平さんの娘さんのご厚意で、長谷川利行のデッサン等を観る事が出来ました。

寒桜はもう咲き始めている(不忍池畔)

恐ろしいほどの早技で描きつける、それらの絵や文字。まるで子供達のなぐり書きのように思われる方の方が多いかもしれません。しかし、そこには彼が描きたかった対象が確りと居たのです。

彼の絵の表現方法の推移を、幾つかに分類し解説をなさる方達もおいでになります。前へ前へと生きていたと思うので、推移はあると思いますが、仮説として絵の具をふんだんに使用出来る術が有ったのなら、延々と絵の具をたっぷりと使う絵をも、描き続けたと思っております。彼の絵にふれ、再、予期せぬ涙を流しました。

私は彼の絵に惚れたのです。本当を描こうと信じ続けた、彼その人に惚れたのだと思っています。

抜粋ですが、こんな言葉も残しています。

眞實とは、眞實の解釋に非ず。

正しい自然の美しい力と云うものは稀なり。高遠なる、深大なる感得を、或いは素朴さに、光輝あらしめ訓練は強められる。(追求と幻想は深く審らかなり。)

池之端画廊・開廊3周年記念の展示にて

ヨレヨレであっても良い。無礼であっても良い。放浪の臭いがあっても良い。彼の生きた昭和の初期に会いたかったと思うのです。

酒が飲めるが故に蝕まれていった身体。それでも、人様に金品をせがみ、言い訳のように描いた作品を手渡し、そして、又、酒や絵の具に替える。彼を盗人のように言う人もいらしたかもしれません。でも、私は知っているのです。上京し何年か後に樗牛賞やら奨励賞をもらった後、惜しげもなく皆と一緒に賞金を果たしてしまった事をも。金品の大切さを知らない狼藉者と言ってしまえば其れだけの事ですが、私には、彼がしっかりと伝わって来るのです。好意を持つとは困ったものです。言い訳を見付けます。

もう一ヶ所、利行作品を展示してくださった所があります。もう設立なさってから数年経たれておられるのに、今まで全く存じ上げていない画廊でした。友人も出品したエンピツ画展で知りました。

御邪魔させて頂いた時に、次回の催事で長谷川利行の「大八車のある風景」が展示されることを知り、出掛けて行きました。

とても感じの良いオーナー夫妻が応接して下さり、久し振りに三岸好太郎、節子作品を観る機会にも恵まれました。

三岸好太郎、節子の作品を観る機会にも恵まれた

実は、一年程前のある夜、私が利行ファンである事をご存じのお客様が、羽黒洞の品子さんをお連れ下さった事が有りました。

品子さんは羽黒洞の設立者・木村東介氏の娘さんです。東介さんは利行作品展を主催なさり、彼を世に知らしめた方です。品子さんの仰るには、あの第二次世界大戦中に東介さんは何はさておきと利行作品凡てを、故郷山形県米沢へと疎開させ、東介さんの著書にある様に、ピカソよりも北斎。ゴッホよりも利行。と信じておられた方との事でした。

利行作品を初見の娘時代、主催が羽黒洞、お住まいも湯島と存じ上げておりましたが、自ら羽黒洞さんのドアを開ける勇気が無かったと云う現実がありました。当時、遍く軒を連ねていた銀座の画廊へは、足繫く通えていた私ですのに何故でしょう。きっと、利行作品への想いと自らの内なる真剣さが、却って臆す因を招いてしまっていたのかもしれません。我乍ら、今更の後悔のみの弱腰でした。

御酒を頂けない品子さんが何度かお越し下さり「貴女の風貌、雰囲気、立姿、特に着物姿が亡き母に瓜二つ。もし、父が存命だったら大変な事になっていました。」と笑って仰って下さいました。お会い出来ていましたら、利行さん、そして斎藤真一さんのお話をうかがえた事と残念です。斎藤真一さんとは彼がまだ教職に就き乍ら作品発表されていた頃、文藝春秋画廊でお会いし、瞽女唄や杉本キクエ瞽女の話をうかがい、伊豆の方におられた彼と文通させて頂いておりました。その斎藤さんを世に知らしめたのも東介さんでした。斎藤さんは映画「吉原炎上」の原作者でもあります。

柳にはもう若葉が連なり始めている

三月も中途に入り、柳には若芽が連なり、桜樹にも花芽が芽生き始めた今日日。不忍辨天堂脇にひっそりと在る利行碑と歌碑に会いに行こうと思っています。

 人知れず くちも果つべき 身一つの

今がいとほし涙拭わず

 己が身の 影もととめず みずすまし

  河の流れを光りてすべる

彼の木葦集の中には、こんな歌も入っています。

つくばへば 廣き斜面に降りて来し

 小鳥と遊ぶ心地こそすれ

2022年3月吉日

たまゆら拝

たまゆら拝

辨天堂脇の利行碑