【寄稿】たまゆら便り⑫ ~葉桜の中に残り咲く 染井から鬱金桜・八重桜まで~

根津の闇夜に茫として浮かぶ「たまゆら」の佇まい

 根津で二十年余、界隈で幾度かの移転を経ながら愛され続ける酒場「たまゆら」。

 バーのようでいてバーでなく、スナックではなくクラブでもない。

 店主様は「一期一会のサロンみたいなものだといいわね」とおっしゃいます。

 ご好評頂いております「たまゆら便り」気が付けばもう第12便を数えるまでに。

 今回は、初めて訪れた染井から、ホームグラウンド(?)である谷中に戻り、

 よく知る木々を訪ねながら町の来歴を想うそぞろ歩きです。

 

たまゆら便り⑫ ~葉桜の中に残り咲く 染井から鬱金桜・八重桜まで~

桜の盛りも過ぎ、根津神社のつつじ祭りに人々が行き交う頃となってきました。

明後日から雨模様との天気予報を聞き、なぜか葉桜の中に残り咲く桜花を訪ねてみたくなりました。

沖縄県以東、札幌以西の各地、桜の開花満開を判断する「標本木」となっているそめいよしのの縁の地、染井へ初めて行ってみる気になりました。

そめいよしのは、その昔、染井村の植木職人によって売り出され、広まったと言われています。売り出された当初はサクラの名所として名高い大和吉野に因み、吉野あるいは吉野桜といって売っていたようです。その後、吉野のサクラはヤマザクラなので、品種の異なる事に気付き、吉野村の名を取り染井吉野と命名したようです。

江戸時代、染井村は大名屋敷の庭園を管理する植木屋や造園師の多く集まった地で、庭園に植える樹木の栽培品種が多く生み出され、当時の園芸界に於ける一大拠点であったようです。それで理解できるのが、現在大きな通りとは言えない染井通り沿いに、平井伯昌コーチ、彼に育てられアテネ、北京オリンピック2連覇2冠金メダリスト北島康介等が通った東京スイミングセンター、東京染井温泉SAKURA、本郷中学高等学校、そして大きなマンションが幾つか建ち並んでいるのです。きっと、江戸時代、それ以降しばらくも鑑賞用の樹々や花が咲き誇る通りだったことでしょう。

霊園の中を歩いていると所々に桜樹があり、葉桜を見乍ら進んでいくと、囲いがされベンチも置いてある公園らしき場に、ひときわ大きな桜の木々がありました。

ベンチに坐る方々がおられ、内お一人は空を見上げお弁当を食べておりました。お邪魔をしてはと別のベンチに坐られた年の頃八十代のご近所の方に、声を掛けさせていただきました。満開時は、それは見事な花盛りとのお話しでした。何よりも閑静なのが気に入りました。

染井霊園を後にし、若い頃、桜を見ながら心地良く歩いた田端の線路際にと、捜したのですが残念乍ら見当たらず、と言うよりも現在では危ない事を避ける上でも線路沿いを歩ける所など、JR圏内にはもう無いのでしょう。気を取り直し、谷中霊園へ向かいます。

傍らの碑には「(途中略)その仲間たちの思いをこめて / いま二十一世紀を歩む君たちに願う / 自分に 正直であれ / 人には 親切であれと 」とある。

西日暮里駅横の急坂を登り、第一西日暮里小学校の前に出ると、ふくろうの像と高村光太郎直筆の「正直親切」の碑がありました。高村光太郎は卒業生とあります。

その右側に、私には通常道灌山通りから階段を登り、そこを抜け諏訪神社や日暮里駅へ行く丈だった西日暮里公園があります。桜樹も何本かあるのを知っていました。暫し公園内のベンチで一休みする事に致します。

改めて、静かなゆったりとした公園に腰をおろすと、広さも程良く木々や鉄棒遊具も揃い良い公園だと知らされます。

この公園も含め上野から王子飛鳥山に続く台地を道灌山と呼び、その大半は秋田藩主佐竹氏の抱え屋敷だったようです。西日暮里公園は加賀前田家の墓所跡。

西日暮里公園は駅のすぐ脇にありながら、駅からも道路からも見えない。

日暮里駅近く本行寺が月見寺として有名だったことは知っていたのですが、他に浄光寺は雪見寺、青雲寺は船繋ぎの松、諏訪台は花見所、ひぐらしの里全体が、時には多くの薬草を摘みに採集者が集い、時には虫の音を楽しみに集まり、常に江戸の人々には格好の行楽地であったようです。時には遠く筑波や日航の山々を臨み、四季折々を楽しまれたことでしょう。

近隣の寺社も、それに合わせるように競って庭の手入れをし、まるでひぐらしの里全体が庭の如しであったとか。

船繋ぎの松とは、江戸時代豊島川へ続く入江だったこの辺りを目指し、船人達が目印とした大きな松が立っていたことに由来するようです。長谷川雪旦の日暮里惣図(ひぐらしのさとそうず)に道灌船繋松の絵があります。この辺りの風景等は歌川広重、鳥居清長等の作品にも含まれ、今日まで伝えられているとの事です。

長谷川雪旦の日暮里惣図

西日暮里公園には十返舎一九、正岡子規の作品も案内されています。又、この辺りから出土した土器、貝塚、住居址などにより、縄文時代から人々が綿々と営みを続けて来た事を窺い知る事ができるとの事です。

谷中霊園での目当ては、浅黄緑色の八重の花、鬱金桜です。江戸時代、富くじで有名だった旧天王寺には浅黄桜が多く植えられ、人々の目を楽しませていた由。そこで平成に植樹された浅黄桜、別名鬱金桜をと谷中霊園にやってきました。そめいよしのより二、三週間遅れて咲くのを知っておりましたので、正に盛りの美しさ、空に晴れ晴れと映えておりました。

目当ての鬱金桜は正に盛りの美しさ。空に晴れ晴れと映えておりました。

途中、上野公園の噴水を眺め乍ら、不忍池まで下って来ました。不忍通り側の池畔に艶やかなピンク色の八重桜がたわわに咲き誇り、行き交う人々も足を止めてカメラやスマホに八重桜をおさめておりました。

階段状に置かれたベンチ群にも人が鈴なりで、コロナを忘れたような穏やかな昼下がりです。

私にも、ちょっとした旅行に匹敵する感慨が残りました。

来春はサクラがバラ科であることを確りと教えてくれた一本の大木に逢いに、小石川植物園へ行ってみようと思います。

2022年5月吉日

たまゆら拝

不忍池畔。不忍通り添いではピンクの八重桜(エドヒガン)が満開