
これまでのたまゆら便りを読み返してみると、すでに17便とずいぶんな分量をお寄せ下さっていることに気が付きました。その文章は常に所謂「完全原稿」でありまして、少し間が開くことはあっても変わらない味わいを保ち続けておられるように感じます。
今回は晩秋の夜の想いでしょうか。少し寂しくもある出逢いと別れのお話に、矜持ある犬たちも登場します。
たまゆら便り⑱ ~そして静かになりに逝く~
気付かぬ内に、この仕事に随分の日々を重ねて来たと思います。
私が始めた店は、小さい乍らカウンターに十人余、椅子席に無理をすれば十人程と、私一人でやらせて頂いた割には、目の届く動き易い店でした。
椅子席の同じ椅子にずーっと坐り続けて下さった方がおりました。
その方はカメラマンを業とし、会社を運営なさり良い仕事を続けておられたのだと思います。
私が見知った頃には、既に廃業しそして、お別れする迄何もせずに終えた方でした。
当時、フィルムの時代からデジタルに移行した写真の世界に、自分の時代は終わったと自ら廃業に走った方でした。
それから何をするでも無く日を過ごし、尤もらしい話しもせず逝ってしまわれました。
時折、遠方から学校時代の御友人達が訪ね来、根津下町の幼き頃の思い出に花咲かせておられた光景を思い出します。
ある日、犬を飼ったと仰います。近くの飲食店にコーギーとチワワの子が生れ、一匹引き受けて欲しいと言われたと。
バックと名付けられたその子犬に出会ったのは、かれこれ半年過ぎた頃だったでしょうか。

主の言う事をしっかりと聞く、いかにも賢い犬でした。元来、私共のような商いの店に動物を入店させるのは御法度と重々承知ではございましたが、何故か私から中へ入れてあげてしまいました。主が店内にいる間、外に繋がれ静かに待っていたのにです。
もしかしたら人間になりたく無かった犬だったのではなかろうかと思える程、人の気も空気も良く知る犬でした。
やがて一匹では可哀相と思ってでしょうか、同じ親犬たちに出来た弟分も飼う事となり、ピットと名付けられました。兄と弟、主が焼酎をロックで二杯ゆっくりと飲み干す間、人様にあやされない限り、主の片側にチョコンと行儀良く坐っておりました。
ある夜など、お帰りになられるお客様がエーッと驚かれ「ビックリした。置き物では無かったのですかー。」と出て行かれました。
飲食店に動物等と、お見えにならなくなったお客様もおられましたが、概ねマスコット的に可愛がって下さいました。二匹共にこの辺りに認知され、散歩をすればバック! ピット! と声掛けられ、少しばかり強面の主もニコニコと町内を廻る姿が見られたものでした。
その主が、検査入院から帰って来、店に顔を出してくれました。「宇井ちゃん、どうでした。」と私。「あと半年って言われたよ。」と飼い主。「人生、そんなものかも知れないわね。」そして、彼が静かに優しく肯いてから身罷るまで、互いに病の話しには触れずに終わりました。半年と言われてから五カ月が過ぎようとするある夜、一杯目の焼酎を長い時間かけて飲み終え、「もう止めておく?。」と言った私に「いや、もう一杯。」と言いはしたものの飲めずに帰った日がたまゆら最後の夜となりました。最後の入院には御本人と奥様の希望で、見舞いに行かせて頂く事が決まっておりました。
ある土曜日の午前中、昼からの面会と思っていたところ、奥様から「私もこれから行くから来てー。」との連絡、慌てて掛けつけましたが、まだ温かな亡骸との対面となってしまいました。彼の引き受けた人生の終焉でありました。

其の後、事もあろうに奥様も肺癌が胃の中に出来る珍しい症例でアッという間の入院生活となってしまいました。御子のおられない方達でしたので、奥様のお姉様とも交信をし、二度程の帰宅許可期間には我家でお姉様と三人川の字になり、姦しく来し方を語り合ったものでした。ホスピス行きは決まった上での東大入院でした。最後の入院先駒込病院へ入院するや否や、東大の先生お二人がお見舞いにみえて下さったそうで、入院中色々な関係者にみられ、まるでモルモットのようで嫌だったけれど、本当に役立つ事が出来たのかもと「私も幸せでした」と言い逝ってしまわれました。
その間、バックとピックは根津の動物病院で預かって頂き、互いに顔合せ無しと云う条件で、いずこかへ貰われて行きました。
まだ、その二匹が知らぬ地へ行く前に、あんぱち屋と云う怖ろしく何でも揃う日用雑貨の店の辺り、看護士さんに連れられた散歩途中に会いました。通常ならば私を見でもしたら駆けて来、私にスリスリする犬たちが、特にバックはハタと歩みを止め、私をしっかりと見据え、暫くすると何も見てはいないと言わんばかりに道の端を前へ前へと進む。私もこれが今生の別れとなるだろうと2,3m後をゆっくりと歩く。もうすぐ彼らの慣れ親しんだ家が右側に現れる。バックは、もう歩くスペースが無い程に自らの家だった方向に背を向け、左側の端へ端へと歩き向こう角を曲がり消えて行きました。
お姉様は大分の高齢の上、背に怪我をされ御不自由もある事と、御夫婦がいなくなって以降、数年で連絡を断ちました。常に過分に恐縮なさって下さる丈に静かを選択させて頂きました。
鈴木俊貴さんと仰る先端科学技術の研究者の方が、大学院時代にシジュウガラが沢山の鳴き声を発している事に気付き、生き物達の言語を追究なさっておられるとか。
生命が古から続いて来た事実からも、生命あるものの伝える力を信じたいと思っております。私にさえ他種の生き物との物語は有るのですもの。
人は生を受け、そして静かになりに逝く。そう思ってもいるので御座います。
日々を重ねおかしな想いに更ける昨今にございます。
2025年12月吉日
たまゆら拝

