【寄稿】たまゆら便り⑮ ~皆が集える温かな空気~

根津の闇夜に茫として浮かぶ「たまゆら」の佇まい

 根津で二十年余、界隈で幾度かの移転を経ながら愛され続ける酒場「たまゆら」。

 バーのようでいてバーでなく、スナックではなくクラブでもない。

 店主様は「一期一会のサロンみたいなものだといいわね」とおっしゃいます。

 ご好評頂いております「たまゆら便り」も15便を数えるまでに。

 今回は、国立西洋美術館から都美術館へ、久し振りという企画展の鑑賞から皆が集える温かな空気をたたえた建築への思いまでをお寄せいただきました。

 

たまゆら便り⑮ ~皆が集える温かい空気心地良い冬の匂いから~

あるお客様の「行ってきた。」という言葉に触発されて、久し振りに企画展へ出向く事に致しました。

息子となら、どんな所に出向いても互いに勝手に鑑賞したり楽しんだり出来るので、「上野でやってるピカソとその時代展へ一緒に行かない?」と誘い、現地集合の日時を決め各々で足を運ぶことと致しました。

 例によって私は自転車でです。

待ち合わせの日は空も晴れ上がり、自転車漕ぎにも絶好日和り。

案の定、私は大分早めの到着となりました。会場国立西洋美術館の真前には、日本人としてル・コルビュジェの一番弟子となった前川國男設計になる東京文化会館が有ります。久し振りにロビー辺りをぶらりとしようと自転車を降り、その入口の方へと廻りました。

東京文化会館正面入り口

残念乍ら休館日らしく遠目からも閉じているのが判り、新たになった上野駅公園口駅舎辺りをぶらぶらしながら時間を待ちました。

待ち合わせ五分前になると、息子は西洋美術館に現れました。

ピカソとその時代ベルリン国立ベルクグリューン美術館展。

ナチス政権時代に政治的事情でドイツを追われアメリカそして最終的にはパリで没したハインツ・ベルクグリューンが収集した作品、特に同時代人として敬愛し作品購入のみに届まらず、交流を深めたというピカソそしてクレー、マティス、ジャコメッティ等100余点の作品群。それ等の国外初公開地として日本を選んで下さったそうです。

会場には加えてブラックそしてピカソやマティス等が尊敬したポール・セザンヌの作品等しっかりと在りました。ポスターにもなったピカソの緑色のマニキュアをつけたドラ・マール。黄色のセーターはやはり圧倒的でした。私本人は戸惑う程に意外にも小品ですがポール・セザンヌの作品に今まで感じた事の無い感銘を受けました。彼が沢山残した夫人オルタンス・フィケの肖像、庭師ヴァリエの肖像。若い頃、人がセザンヌを絶賛する意が私には余り解かりませんでした。

今回、ピカソ、クレー、マティスの作品に触れるのを楽しみに来場しただけでしたのに、思いも掛けずセザンヌの小品に静かな深い感銘を受けていたのです。

物も風景も作品もそして生き物も、道に触れる意義とはそうした所に有るのかもしれません。そして時の持たらす変化も。

ピカソというと私はアルルカンに結びつきます。一節にはローマ時代からと伝えられる即興演劇。そしてイタリアのコメディアデラルテ。その道化役としてのアルルカン。そのアルルカンと云う響きとダイヤ柄の衣装が気に入り特にピカソの描くアルルカンが好きになりました。会場にはありませんでしたが、愛する息子パウロを描いた「アルルカン姿のパウロ」は別の意味で最高ですね。今回の展示にも数点アルルカンは飾られておりました。

会場は混んでおりましたが、作品が見辛いという程でも無く、常日頃から展覧会場で作品を隅無く観る必要も無いと思っていますので、美術館を出る足取りも軽く、息子と隣のパークスで軽食を摂り小腹を満たし、自転車組と徒歩組という訳で解散となりました。

私は公園内にある前川國男の別作品、東京都美術館を通り帰路につく事に致しました。

都美術館遠景

前川國男は大学を卒業するとシベリア鉄道経由でパリに住む祖父前川尚武を頼りパリに着き、ル・コルビュジェの元に教えを乞うた人です。近くに住む好条件に東京文化会館が竣工した後、音楽会やレコード鑑賞に出掛ける機会を得、その建物の持つ近代的センスやロビー等の空間の広がりの豊かさに、日本の発展する予感を実感したものです。完成が昭和36年とコンサートホールとしては初期のものですが改修等は施されたものの音響等現在でも世界の指揮者達のお墨付きとの事です。

実は旧東京都美術館閉館の折、寺山修司率いる劇団天井座敷の屋外芝居を観ているのです。情無い事に題名も内容も憶えていないのですが、入口の巾広い階段の両脇に鎮座したライオンの雄姿を記憶しておりますし、対面に設置された観客席に座り青空を見上げたことを憶えています。淋しくもあった旧館の閉館。

新しく竣工した美術館のエスプラナードから見上げた空の広さ。実感した真摯に仕事に向かう人達への眩しさ。全く別物になったその地点で人の成す術の凄さを知ったものでした。前川國男は都美術館の広場やロビーレストランに注力し設計したそうです。加藤周一の言によると、東京の街並は無秩序であるが与えられた敷地に極小の都市空間をつくり出すのが前川國男の一貫した態度だそうです。

公園と美術館の境目は入り口の部分で曖昧であるように感じられる

欧米建築の流れから一時は打ち放しのコンクリート製法を用いた氏でしたがそれから離れ外壁にはタイルを使用するように、しかも予め立てたタイルの内側にコンクリートを打ち込んでタイルと一体化する極めて堅牢な仕上げ方法を開発していったそうです。今日言われる打ち込みタイルとのことです。

前川國男は人に息抜きや憩い出会いや立ち話の場として機能する調和した都市空間をと、展示する美術館に対し外部環境の疎外を出来得る限り避けたと言います。

私は以前、優秀な建築設計家である小学生時代の同級生に「どうして確りと建築を勉強なさっていらした方々が建築物を縦横斜めに只真直ぐに、しかも高く高くとして行くのか判らない」と言わせてい頂いた事が有ります。彼は「恥ずかしい。」と答えてくれました。

一段下がる入口へ、動線は自然にいざなわれていく

ル・コルビュジェは前川國男の設計に関し「光の下で組み合わされた諸々のヴォリュームの巧緻精確で壮麗な遊戯。」と評したといいます。前川國男は学んだ建築学を日本の風土や民族性に融合したいと願い尽力した有難い人物だと思います。

行って観てみたいと思い乍ら行かず仕舞いの建物に世田谷区役所があります。前川國男の設計になり、人の集まり易い空間のある素晴らしいものだそうですが、以前からの改築改修計画で現在どうなっているか解りません。どうか皆が集える温かな空気をたたえたままで在って欲しいと願っています。

前川國男が遺したかったものを伝えて行ける国であって欲しいと願います。  ピカソとその時代のギュレーターであるヨアヒム・イェーカー氏はヨーロッパの近代芸術は、日本から大きな影響を受けていると語っています。

2023年4月吉日

たまゆら拝