ご好評頂いております「たまゆら便り」、今回はかつての不忍池畔、夜の片隅に見られた「ある情景」の追憶をお寄せくださいました。
たまゆら便り③ ~プリマが舞うように優雅に…~
この未曽有の禍の中、店も閉店休業となり健康上からも日々散歩に出掛けます。
なるべく幹線道路を避け、一本あるいは二本逸れた道を現用することにして。
勿論、人とすれ違う機会が少ないこともありますが、古くからの町では道すがらがより楽しいというのが本来の理由です。
先日は、不忍弁天堂にお参りした後、上野動物園の上野側と池之端側の間にある道を久しぶりに歩いてみました。
昔、不忍池畔から真赤に落ちゆく夕日を眺め、その帰りの都電の車窓から、ある電柱の下にだけ小さな風がおこり、紙くずや枯葉等が舞っていたのを思い出しました。
走っている電車と地形等の条件が風をおこしていたのか否かわかりませんが、いつだって確かに舞っていたのです。
十代も後半になり、遅い帰りとなった日など、夜のとばりに点灯された電柱の緩い三角錐の光の中、まるでプリマが舞うように優雅に映るそれらに、幸福感を覚えたものでした。
私には紙きれが、落ち葉たちが、美しく舞台に舞う主人公に瞬間思えたのです。
小さな頃からいくつかある私の秘密のスポットでした。
現在では都電の線路や、化粧品工場等いくつかあった建物群も動物園になっています。そう言えば、子供の頃の動物園は池之端側にはなかったように思います。
知らず知らず、変化は続いているのです。
そんなことを思い乍ら歩いていると根津へと戻ってきていました。
この町に古くから悉皆屋を業となさる丁子屋さんというお店があります。
現在は新築されて趣のある佇まいの店となりましたが、建て直される以前の御自宅兼店舗は百年以上も経たものでした。十年以上も前になりますが、お宅にお邪魔させていただいたことがありました。
驚いたことに柱も床も障子、襖、雨戸さえも全くゆがむ事なく泰然自若と収まっていたのです。箪笥やそのほかの調度品も美しく収まっていました。
現在は築三、四十年も経つと建て替え等の話が出る家もあると聞きますが、第二次大戦後の混乱期に焼け残った古材で建てた家でも床等の多少の歪みや壁等を直せば済める家になったといいます。
そう云えば、どこの新築現場でも、昔のように木材に鉋を掛けたり、釘を打つ光景など見かけません。
私一人が生きている間の変化も大変なものです。
光陰矢の如し、近年の進歩とはいかなるものか、不思議を感じる事があります。
2021年5月吉日
たまゆら拝