根津で二十年余、界隈で幾度かの移転を経ながら愛され続ける酒場「たまゆら」。
バーのようでいてバーでなく、スナックではなくクラブでもない。
店主様は「一期一会のサロンみたいなものだといいわね」とおっしゃいます。
ご好評頂いております「たまゆら便り」14便を頂戴しました。
今回は、冬の自転車行で嗅いだ香りから立ちのぼる徒然。香りの強い花がもたらす「マドレーヌ効果」でしょうか。
新年のお便りにふさわしい凛としたお話をお寄せいただきました。
たまゆら便り⑭ ~心地良い冬の匂いから~
十二月に入って初旬、晴れ上がった美しい空に見惚れ、久し振りの不忍池行を決めました。勿論自転車でです。
上野動物園の池之端門を通過し、不忍通りから不忍池側へ入ります。
抜けるような蒼空の下にまさしく黄金色に輝く銀杏樹、落葉を免れ残された葉が美事に紅葉した桜樹、そしてまだ青々と揺らぐ柳。何人かの人達が携帯電話のカメラに銀杏や桜を収めておりました。
何か他にあった訳でも無く心が軽く晴々しい日です。そんな風に感じ乍ら自転車を走らせていると、穏やかながら時折仄かな痛さを感じる空気の内に、ふっと冬の匂いがして来たのです。香りは無いはずと思い乍らも確かに冬の匂いを実感したのです。自転車を漕ぐ向こう側から、有るか無きかの風に乗りふっと透明で凛とした香りとでも言い得ましょうか冬の匂りがして来たのです。日常に不覚に訪れてくれる昂揚感、幸せを感じます。自転車のペダルも軽くなります。
匂りと云えばと、ペダルを踏みながら思い出した事が有りました。
この秋の初め、2,3年前にこの近辺に越して来られた女性のお客様が「私は金木犀が好きなのですが、この辺りには何処にも見当たらずとても残念な気持でいます。」と打ち明けられ、その時には申し上げられなかったのですが、この辺りでも確か何処かで金木犀の匂りにふれた事があった事を思い出し、根津や谷中千駄木の路地に自転車を走らせた事がありました。
縦横に走る路地から路地を行きました。金木犀が香りを放つこの時期しか再発見出来ないと思ったからです。
幾日目かの路地探訪の昼下り、ついにへび道と平行する不忍通りに近い路地にその香を再発見しました。
自転車でその場を通り過ぎた4,5m先で馥郁としたその匂りは私の身にまとい付きました。心の中に鼻唄が響きます。金木犀は咲いていました。
金木犀は菱型に裂けた皮目が動物のサイの足に似ていることから木犀と呼ばれ、白い花をつけるギンモクセイ、橙黄色の花にはキンモクセイと名付けたようです。
江戸時代に雄株だけ渡来し挿し木で増やしていったようです。普通は4m位稀に10~18mの高木がみられるようです。
花の季節は秋、キンモクセイの方がギンモクセイより花の数も匂いも強いようです。
木犀の母国である中国では「丹桂」に相当するようですが、桂花茶の原料として重要な栽培植物としてもはやキンモクセイと同じ遺伝子は持たずに進化を遂げているので今日日キンモクセイは日本独自に生み出されたと云う説が有力のようです。ニーズが異なると違った道を進んで行くのですね。
キンモクセイと並び日本三大芳香木に沈了花、そしてクチナシがあります。
沈了花の渡来はキンモクセイより早く、室町時代にはもう栽培されていたようです
これも又、雌雄異株で日本には雄株が多く雌株が少ない為、余り結実はしないが極稀に真赤な実をつける事があるが有毒なので、決して口にしてはいけないそうです。常緑低木で都会の庭先等でよく見掛けます。
十字型の花が丁子(クローブ)に似ているのと、花の香りが沈香に似ている事から沈了花とつけられたようです。沈了花は昆虫や鳥などが花粉を運ぶその目印となる器官としてアピールする為にガクを花と見立てるよう進化したようです。沈了花の香りにはリナロールと云う成分が含まれ、鎮静や抗不安抗菌が有るとされ、癒されるのは当然の結果なのだそうです。又の名を千里香とも呼ばれ千里先までも香とされ、三大芳香木の中でも最も香りが強いとの事です。
クチナシは東南アジアに広く分布し、日本では静岡以西、四国九州南西諸島の森林に自生する常緑低木ですが、現代では野生と云うより園芸用に栽培される事が多く私達の住む東京でも庭先や鉢植と目につきます。
クチナシは花も食用とされ、果実は沢山の効用のある生薬漢方薬の原料とされ、又栗金とん等の着色料及び衣類の染色にも用いられていたようで、古墳時代に染料に応用されていた記録が有るようです。
クチナシの果実の側面にははっきりした5~7本の稜が突き出しており、先端に6個の萼片が残り開裂しないそうです。足付き将棋盤や碁盤の足の形はクチナシの稜のある果実から来ているそうで「打ち手は無言。第三者は勝負に口出し無用。」クチナシの意が込められているようです。クチナシのジャスミンに似た匂りからか学名の和訳はジャスミンのようなだそうです。
香りと云えば仏教伝来に由来するものでしょうか。日本書記には四国淡路島に漂着した沈香が最古の香木と記されているそうです。沈香の中で一番の質を誇るのが有名な伽羅の香りだとか。初期はこうした香木等を直接火にくべていたのを鑑真和上が仏教戒律と共に香りに関した技術も日本へ持たらせ香道、茶道へと連なって行ったのでしょう。香りを聞くと云うのは仏の教えに向き合う意味も有り、仏教用語の聞法に結びつくようです。聞法とは目のあたりに仏の姿を見、耳に仏の教えを聞くこととあります。沈思黙考の四字熟語を思い出しました。
匂い分子は一種では存在せず、多くの種類が混ざり初めて匂いとして認識されるものだそうです。鼻の奥の嗅上皮と呼ばれる箇所に嗅細胞と云う神経細胞があり、その先端の嗅繊毛に匂いを感知するセンサーがあり大脳を刺激し、匂いの認識と同時にホルモン分泌に関する視床下部、快不快を判断する扁桃体、果ては記憶を司る海馬にまで伝達されるのだそうです。
私が今日有るか無きかの匂りの中に、確かに心地良い冬の匂いを感じたのも、私の生きた体験の内に由来する複合的条件による倖せと云うべきものなのかもしれません。
気持の良さを助長させ、最近知ることの出来た荒川六丁目にある和菓子処「乃ん喜庵」まで自転車漕ぎを延長させる事にしました。
二回目の訪問時、珍しい店の名に嬉しくなりましたと告げる私に「あくせくせずにのんびりとやりたいとおもいましてねー。」と御主人は柔やかに笑って下さいました。 今日も甘さをおさえ目のおはぎを買って参ります。
2023年1月吉日
たまゆら拝