根津で二十年余、界隈で幾度かの移転を経ながら愛され続ける酒場「たまゆら」。
バーのようでいてバーでなく、スナックではなくクラブでもない。
店主様は「一期一会のサロンみたいなものだといいわね」とおっしゃいます。
ご好評頂いております「たまゆら便り」久し振りに16便をご寄稿いただきました。
今回は、上野台地に生きる「野生動物」から我々人類の来し方に想いを馳せるお話。清玩堂の部屋の窓からも、ある季節には決まって夜になるとハクビシンが現れるのを見ることができます。酒場での小さな話を憶えていて下さったのもうれしい、そんな原稿をお寄せくださいました。
たまゆら便り⑯ ~先達の来し方に想いを馳せ~
そこそこの長い付き合になるお客様に、幾つかの仕事を持ち生活している方がおられます。私の店から帰られる時にも「これから仕事」等と言って出て行く。いつ寝ているのだろうと訝る程です。
特種な仕事もしているので命拾いとなった怪我も何度かされている。
つい数か月前、勘えられぬ腹痛に町医者へ行き、そこでは手に負えぬと言われ、救急施設のある病院へ這いつくばるようにして着くや即入院。
二週間以上の絶食と点滴で退院し、現在自宅療養との事。
病名は結腸憩室穿孔限局性腸膜炎。
腸に穴があき膿も溜まっていたと云うのですから、今回も奇跡の生還を果たしたと云う訳です。
その方が回復への運動も兼ねて早朝、上野の山、不忍池と上野公園を散歩するのを日課とされているとおっしゃる。
冬只中のこの季節まだ暗いと云うに、彼の歩く後から鳥達が各々に連いて来ると言います。餌をあげる訳でもないのに、日々同じ様に彼の後を追うと言います。
私達の住むこの街は、上野台本郷台と台地にも恵まれ、緑も思った以上にある故でしょうか、時々ハクビシンや狸もぐら等に出くわす事があります。そう云えば清玩堂からも、ご自宅の窓から隣家の屋根を這うハクビシンの親子を見つけたお話を伺った事もありました。
思いますに、そうした各戸で面倒をみてもらっている筈も無い生き物鳥達は、常に生きて行く為の糧を求めて生涯を終えるのですね。私達の遠い遠い先達がそうして来たように。
前述のお客様に申し上げたことは無いのですが、私も幼い頃から、自ら好きと云う訳では無かったのですが、結構に生き物に好かれる方でした。時折思い出すペチャコと呼ばれた猿との縁は、私に本当は猿に生まれたかったのに人間に生まれてしまった私だから、声を掛けてくれるのだろうかと思わせる程でした。
小学校からの帰路、何人かの学友達と歩いてると、私だけの目を見て目で手で声で呼んでいるのが判るのです。
ペチャコの繋がれている小さな小屋の側へ行くと、私の手を取り毛繕いをしてくれます。私の手を掴み、自分の親指と人差指で塩分なのか何なのかつまみ自分の口に運びます。
私にはつまんでいる物も見えず、その動作が意味することも解りませんでしたが、なすがまま。一頻りその動作が済むと私の目と目を合せ、笑い顔になりペチャペチャとしゃべります。それに応えて私もペチャペチャと答えると再びペチャペチャと答えます。そんな日を何年か過ごした後、ペチャコも飼い主の母子も何処かへ越して行かれ、会えなくなりました。
今では掛け替えのない友だったと思い出す事があります。
他にも生き物と不思議な縁を感じた事があります。そんな時、私は本当は動物になりたかったのに、人間に生れて来てしまった種族だと思うのです。
本来、人間も生命を繋げられる丈の食物で心身を満たし、今日終える事に感謝が出来たらそれが倖せと云うものだったのでしょう。40年程前、仲良くさせて頂いたスイス人の友がおりました。彼女はよく「私達スイス人は家を持ちたいとか土地が欲しいと思って暮らした事が無い。自分達の得た収入でお腹を満たし、やりたい事をやり、行きたい所へ旅し、そして楽しい人生を終える」と言っておりました。又、マイスター制度とは言わないが、小さな頃から手工芸や手仕事を楽しく教えてくれる学校制度があるとも言っておりました。
関谷吉晴さんや山極寿一さんによると、ピグミーやブッシュマン、ハッザ、アマゾンのヤノマミやマチゲンガと呼ばれる狩猟採集民達は、決して争いを好まず必要な食物を食べたい時に狩猟し、皆で分かち合い、自然を破壊せず平和に住らして来たと言います。
小さな獲物を得た時は家族で食するのですが、大きな獲物を得た時には、そっと広場や台の上に置き、当人は何食わぬ顔、或いは目立たぬよう隅の方に身を置き大きな獲物は集まって来た皆で解体し、分け合い、各々の家に持ち帰るといいます。
親の後を付いて行き狩りを憶えた少年達も、自らの初収穫の獲物を親がして来たのと同じように、そっと台に乗せ素知らぬ顔でそこらに腰をおろしたりするといいます。何と微笑ましく雄々しい習わしだろうと思います。
ゴリラやチンパンジーは採った物を其の場で食するそうです。そして食べ物等で争いになりそうな時には、まるで相撲の行司のように誰かが仲裁役になり争いを避けるそうです。アフリカのアマゾンのそして北米インディアンやモンゴルの遊牧民も本来土地に執着せず、借りているもの、皆のものとして争いを嫌い平和裏に暮らして来たといいます。
人類が二足歩行を可能にし、小さな集団での食物の共有、共同保育の知恵を生み、やがて互いを認め共感する内面相互の文化が芽生えたといいます
知識や技術は身体の内部に蓄積させなければ、不則の事態に対処できない事を、先人達は受け付ぎ乗り越えて来たのだと思います。
連々たる人の歴史の中で、目を開き耳を澄ませ、鳥や動物達も含めた先達達の来し方に想いを馳せたいと思うのです。
2024年3月吉日
たまゆら拝