根津で二十年余、界隈で幾度かの移転を経ながら愛され続ける酒場「たまゆら」。
バーのようでいてバーでなく、スナックではなくクラブでもない。店主様は「一期一会のサロンみたいなものだといいわね」とおっしゃいます。
かねてより「何か書いてくださいませんか?」とお願いをしてまいりましたところ、この度、界隈の思い出をつづるお便りをご寄稿いただくことができました。
ぽつぽつ、便りの始まりです。
たまゆら便り① ~夕暮れに走り…~
その方は店に入るなり「不忍池を歩いて来ました。懐かしかったですね」
と美しく笑った。
近年、池の不忍通り側には池を見晴るかす高さにウッドデッキが設けられていたり、池上から蓮や水鳥、ボートや魚たちの姿が楽しめるよう遊歩道がかけられていたりする。
都会にあってますます散策を満喫させてくれる池。
池之端で育った私には、子供の頃から馴染んだ池です。
遠い昔、東京湾の入り江であったところが海岸線の後退とともに池と化したところだといいます。
十六世紀に天海僧正が寛永寺を建立し、江戸城の鎮護を願い陰陽道や風水により裏鬼門等周到に整えられ、不忍池もまた東の琵琶湖に見立てられ、竹生島になぞらえた弁天堂も築かれたといいます。
その頃、弁天島へは船で行き来をしていたとの事です。
そして、藍染川あるいは谷田川と呼ばれた川が池に注いでいたともいい、現在はみな暗渠だったことさえ想像もせず、その道を歩いているのです。
千駄木駅近く、通称「へび道」と呼ばれるくねった道を通り、言問通りを渡り道を進んでいくと、最後には人一人通れるほどの細い道となり不忍池へと行くことができます。
私はそのコースで不忍池へと散歩するのが好きです。
その道が川であった証に思えるのは、道の左右が区界ということでしょうか。
不忍池あたりも、今はビルや高層マンションが立ち並び、夕陽を眺めるにふさわしいところではないかもしれませんが、少女時代、私はその美しさ、荘厳さに魅せられて、
「今日の夕陽は最高に違いない!」
と思える夕暮れには走り、時には都電に揺られ、現在の下町風俗資料館あたりで暮れなずむ空を眺めていたものでした。
天空に沈みゆく真紅のかたまり、その寂寥と透明の綾なす情緒は至極のものでした。
夏休みになれば毎日縁日と盆踊り、露天では金魚すくい、射的、がまの油売りやたたき売り、季節、季節の植木市。まさに下町そのものの不忍池界隈でした。
これも今は昔ということでしょうか。
その方が何として不忍池を懐かしく思えたのか。いつかそっとお尋ねしたいと思っております。
2021年2月吉日
たまゆら拝